人生はつまらない、楽しくないと嘆いている人たちの正体

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私は「毎日が楽しいし、全然つまらなくないよ」って思っている側の人間ではありません。
どちらかというと楽しさを見つけようと必死に生きてはいるものの、いつかどこかで生きるのに疲れてなにもしたくなくなってしまうんじゃないか、という不安があります。

心が折れてしまって、絶望して、頑張る理由とか意味とかわからなくなるときですね。

でも一生懸命になった瞬間はとても高揚するし、自分にとってその経験は価値があると理解しています。
これは多くの人が共通認識として持っていると思うのですが、別にそんなことないよって人がいてもおかしくないと思います。

最初に言っておきますが、万人受けするコンテンツがないように、万人に響く言葉というものは存在しません。

ですので、「なにかに一生懸命になれるのって楽しいよね」「なにかが起きれば自分の人生も楽しいのかも」って思えない人は、ここから先を読んでも仕方ないので読まない方がいいと思います。

こういうことを最初に言っておかないと、本当に誰も得をしないと思っているんですが、ここから先を読んでほしくないわけではないので、そこはよろしくお願いします。

ちなみに人生なんて楽しくないしつまらないって人は、それに対してどうしたいのかも重要です。
現時点で楽しくなくて、退屈なのであれば今後変わると思っているのでしょうか。
そこに主体性はあるのでしょうか。

あなたが自分の意志を持って『変えようとしている人間』なのか『変えたいけど変わらないと思っている人間』なのか私にはわかりません。
『そもそも変える気もなく諦めてしまっている人間』だっているわけです。

そしてどのステージにいるかで、同じ文章を読んでも受け取り方は変わります。

今の状況を不本意ながらある程度受け入れてしまっていると、そこから動くのはなかなかエネルギーが必要ですよね。
動くエネルギーというのは手間やしがらみ、労力、面倒臭さや煩わしさを跳ね除ける力とも言い換えられます。

そして少しでもそのエネルギーがあるのであれば、今の状況に対して疑問が生まれるわけです。
「今の自分の人生って楽しくなくない?」と。

大きな流れがあり、抵抗せずに流されるままなにも感じていなければ、そもそも人生が楽しいものだとか思考ができないわけです。
なにかしら人生において、不満があるからこそ退屈していて、楽しくないと感じて、つまらないと嘆くわけです。

なぜ人生をつまらない、楽しくないと思うのか

最初の認識として、人生をつまらない楽しくないと思う理由ってなんですか?

もしあなたがそう思っている人なのであれば、一度自分なりに考えてみてください。

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ちなみに私は大きく分けて2つあると思っています。

慣れ

慣れには良い印象と悪い印象があると思います。
本来の意味は以下に引用させていただきます。

  1. たびたび経験した結果、当たり前のこととして受けとめるようになる。なれっこになる。
  2. 何度も経験してうまくできるようになる。習熟する。
  3. 接触する機会が多く、心理的な隔たり・距離感がなくなる。
  4. 体になじんで具合がよくなる。
  5. 動詞の連用形や名詞の下に付いて、何度も経験して具合がよくなる意を表す。
  6. なじんで打ち解ける。
  7. 着物が着古されてよれよれになる。
  8. 同じ刺激を繰り返し与えると、それに対する反応がしだいに弱くなりやがて消失すること。
(大辞林より引用)

概ね良い意味と使い方になると思いますが、現代の慣れのイメージとして怠惰を連想してしまう印象があります。

意識を集中させて100%費やしていたときに比べ、慣れるといろいろな部分に目を向けられます。
つまり慣れると余裕が生まれます。

生まれた余裕からより良くしていくか、手を抜くかは人によるのですが、手を抜いた場合に慣れは悪いものとなります。

人間は言葉や文字を扱えるため遺伝子以外の情報を継承してきました。
蓄積した知識や技術は今の世の中の便利さに直結しています。
貨幣もそのひとつですね。

そのおかげで生きる上での分業、効率化はすでに充分にされていて、それによりできた時間を人々はどのように過ごしているでしょうか。

娯楽や息抜きが悪いとかではなく、今の世の中ってある程度手を抜いているはずです。
人が生きることに慣れてしまって、ある程度の安全性が担保されていて、真剣に生きなくても生きていける世界で手を抜くなという方が難しいでしょう。

その中で共感を強いられたり、同調圧力に晒される環境にいすぎると、次第に自分の意志を失います。
一生懸命にならなくても生活できて、自分の意志がない生活を繰り返すとどうなるでしょうか。

受け取る刺激は弱く、いつか反応は消えてしまいます。
慣れですね。

そして考え始めるでしょう。
人生の意味とはなんだ、と。

比較

今はインターネットでいろいろな人の経歴、趣味、嗜好、人間関係、生活模様まで見えてしまいますよね。
それがモチベーションになる人もいれば、そうじゃない人もいます。

単純な憧れや理想ではなく、嫉妬や妬み嫉み、羨望は自分を苦しめるだけでメリットなんてありません。

荘子の故事成語である「井の中の蛙大海を知らず」の通り、自分だけを見ていれば幸せだった人もいるでしょう。

もちろん周囲ばかりに目を向けていて、良かったと思える場合もありますよね。
ですが、良かったと思えるのは後からわかることなので、周りに目を向ける行為は本質的にどちらでもいいわけです。

ただ周りを見て、他人と比べて、自分を蔑んでしまったり、不満を抱いてしまって、自分の人生を嘆いてしまうのであれば比較しない方がいいですよね。

それに自分に意識を向けると今までの景色が大きく変わります。

人生の楽しさとは変化である

結論から言ってしまうと、自分自身に目を向けて、人生に慣れ切らないことが人生を楽しくさせてくれると私は思います。
昨日の自分と今日の自分を比べれば、確実になにか変化しているはずです。

なにかを覚えた、なにかを忘れた、ほんの少し成長した、視点が増えたとかなんでもいいんです。
(意外かもしれませんが、忘れることも必要で、覚えて忘れるという過程を経て得られる知識や価値観もあります)

すごく小さな体験が、人生を楽しませてくれる経験ってないですか?
最近だと私はMistel BAROCCO MD600というセパレートタイプのメカニカルキーボードを買いました。

これ真ん中で別れているんですよ。面白いですよね。


ちなみに理由は肩こりです。
通常のキーボードでタイピングしているとだんだん肩が閉じて猫背になり、あまり姿勢が良くないので買い替えました。

そして新しいキーボードを今使っているのですが、キーの総数が少ない(106→66)のでかなり戸惑うし、実際まだちょっと使いづらくてストレスを感じます。
タイピングスピードも遅くなっているし、効率も悪くなっているんですが、キーの割り当てとかいじれるし、自由度が高くて慣れるとこっちの方が断然使いやすい。
もっと言うと、キーボードの中の軸も赤軸という軽めのものにしたので、打ち疲れにくく使いこなすと確実に早くなります。

「いやー、早くこれに慣れて使いこなしたいなー」なんて考えるとすごく楽しいしわくわくするんですよね。
ほんと他人からしたらどうでもいいことだと思うんですけど(笑)

結局は普段生活している中で、自分に目を向けてあげるって必要だと思うんです。
自炊している人は意外と料理できるようになるし、その中で毎日適当な炒め物を作るんじゃなくて、たまに時間があるときに難易度高めの料理に挑戦するだけでもきっと楽しいと思うんです。

もちろんうまくいかないかもしれません。
失敗するかもしれません。

でもそれも含めて楽しくないですか?

1回であっさりできてしまってもそれはそれで楽しいけれど、4回失敗して5回目で成功する方が感慨深いです。

楽しいといえば趣味でアクアリウムをしているのですが、水槽にはレイアウトをいろいろと考えて、水草を生育して、完成といえる瞬間があります。

水槽

その過程で失敗もするし、思うようにいかないときもありますが、完成したらしたで、その瞬間に終わりなのかというとそうではありません。

水草は成長し続けるので、トリミング(水草を短く)して全体のレイアウトを保持します。
レイアウトを保持しても、それだけで水槽を維持し続けるのは無理です。

あくまで自然環境の一部を水槽という閉じた空間に切り取っているだけなので、いつかはリセットする必要があります。
(パーフェクトバランスドアクアリウムとかいって、めちゃめちゃに計算して自然環境に近い循環作用が完成すると水替え不要になるのもあります。すごいw)

最初は水槽のリセットって努力が無駄になる気がしてめちゃくちゃ辛かったのですが、いざやってみると楽しくなります。

それは技術や知識が蓄積するからかもしれませんし、また別の構図やレイアウトを考えられるからかもしれません。
でも一番大きいのはその過程が楽しいからだと思います。

人生も似たようなもので、努力して努力して、どこかの段階で完成と言えてしまうのはまだまだ途中経過で、どこが完成かもわからないけれど、その過程でその時その瞬間が楽しいのではないでしょうか。
それは出来る限りのことを精一杯やっているときがきっと楽しいし、生きていると実感できるんだと思います。

あなたが閉じた世界で生きているのなら、外に出かけてみましょう。
新しい趣味を始めてみるのもいいですし、普段なら絶対にしないことをしてみるだけでもいいでしょう。

普段の生活範囲、見ている風景はどのくらいの規模ですか?

完結していると思っている世界は実は広いんです。
あなたが知り尽くしていると思っているあなた自身も、とても深いものかもしれません。

そうやってなにかを行って、その人なりの深みというのができると思います。
それはとても楽しく、退屈するようなものではないと私は思います。

最後に付け加えると、自分が楽しいと思うことに他人は一切関係ないということです。
まさに「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」ですね。

この言葉は荘子の故事成語に誰かが言葉を付け加えたものだとされていますが、使いどころによっては全然ありだなと思います。
研究分野や専門分野などで競争しているなら問題ですが、自分の範囲内のことであれば他人なんて一切関係がありません。

自分のやりたいように楽しいことを見つけられるといいですよね。
また同じ目的、方向性が似ている人と共感し合えるのであれば、それはとても幸せじゃないでしょうか。

人生に意味なんてないんだから、やりたいことを見つけて、やりたいこと精一杯やって、一生懸命楽しみましょうよ。

人はいつか死ぬ。
死とはすべてを捨てることです。

そんなことは当たり前に皆わかっていますよね。
わかっているはずなんですよね。

でも本当はほとんどの人がわかっていないんです。
わかっていないから捨てられないものがあるんです。

自ら命を捨てるのは、なにも捨てれない人が捨てるものを選択できずに、血迷った挙句の苦渋の選択なんじゃないかなーと思います。

死ぬまでの間に何を選択し優先するのか、過程をどう過ごすのか、最終的に後悔のない生き方をしたいものですね。

『悩み相談BBS』

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